とある子の自殺から数日。
今日から学校が再開。しかし今日は授業は一切行わずに
生徒との面談との形となった。
面談は、本人の精神的ショックやら何やらを和らげるために
やっていたようなものだった。私自身もここ数日は体調が
おかしかった。ついでに書いておくが、キーボードも打っている感覚が
いつもと違っていた。正直、数日前なんかこのブログを書くのが
精一杯な感じだった。だったら、書くなといわれるかもしれないが。
そんな今日は学校でほとんど読書をしていた。
その本は養老孟司の『死の壁』
こんなときに読むべきではないかもともおもったが、
すでにその本に手が伸びてたもので・・・。
何気にだらだらとこの本を読んでいたわけだが、
改めて、死について考えさせられたというかなんと言うか。
死は100%訪れるものだということだな。それを日本人は完全に生と死を隔離しようと
しているとかなんとか。例として清めの塩をかけることがあげられていた。
永遠の命をとかなんとかということは、
機械人間にでもなったようなものじゃまいかと。
ある映画では、ロボットが本当の心を持ち、やがてヒトに憧れ
そして、永遠の命ではなくヒトの命に変わり、最終的には
ロボットの機能停止・・・いや本当の死を遂げるといった感じのするものがあった。
こちらの場合は人間とは真逆のパターンだが。
とにもかくにも、死はいつも生と隣り合わせなんだと。
自分の死なんかいつやってくるかもわからないから。
それはともかく、マスゴミって何がしたいのかね。
今日から授業再開だからって校門前には、
テレビや新聞などの自称報道機関の連中が我々の登校風景を撮っていた。
はっきり言って、気分が悪いもんだ。
おまいらも結局は他人の心に傷つけてんじゃないの?
もう少し、考えられないのかと。
こんなんだったら、バカみたいな教育基本法の前に
報道のあり方について考えたらどうなの。
ついでに、いじめだのなんだのって、大げさすぎるんだよ。
全校集会での校長の演説では、
「いじめによる自殺は確定したわけではない」
となっていた。
携帯電話に虐めに関する内容が書かれていたとあったが、
詳しい内容がわからなければ、なんとも言えないんじゃないか?
本人の書いた文章全文なんか学校でも公開されなかったし。
それでいじめと確定?バカじゃないの。
海外のマスコミを見習ったらどうかとも思ってしまった。
これで一層、汚い国日本へなっていることは確実だろうな。
とまあ、相変わらずの乱文駄文失礼。