昨日の夜、何気なくザッピングしていると、
NHK教育で尊厳死について取り上げた
ETV特集を放送していた。
例の事件前後、死に関する本を読んでいたので、
興味深かった。
途中から見たのだが、
ベッドに横たわったままで、呼吸機能など体のほとんどが機能しないという人が、
パソコンを使って自分が尊厳死をどう考えるのかを
入力していたのが非常に印象に残ってしまった。
パソコンは一般の人のように、キーボードやマウスを使って
入力するのではなく、目や口などにセンサーを取り付けて
入力するという方法を取っていた。
この人は、なんとかそのような方法で意思疎通を取ることができていた。
が、それが出来なくなってしまえば、ただ生かされているだけの植物人間だという
考えがあるらしい。
(内容を大幅に端折っているので、ニュアンス的に間違ってるかもしれません)
もしも、自分がこのような状態になったらと考えると、
なんともいえない絶望感があるのかもしれない。
そうなってくると、呼吸器を外して死を選ぶしか方法はないとなってしまう。
ただ、その尊厳死とやらが、殺人行為なのかどうかはよくわからない。
本人の意思疎通ができるときに、万が一の事態になった場合に
死を選びますと宣言すれば、本人が言ったから殺人でないかもしれない。
今後、この問題はさらに広がっていくだろう。
人間様の死というものは本当に難解なものだ。
病気で死のうが、争いやらで死のうが、やんややんやと騒いでしまう。
私が死の瞬間を迎え、葬式だかなんだか行うとき、
騒々しいものはやめていただきたい。
静かにあの世とやらに行かせてほしい。
と、私は考えるのであった。