乗って病院に行ってきた。
といっても私は付添い人で、母が担がれて行った。
そして、ついさっき帰ってきたばかり。
まさか、こうも救急車に付添い人で乗ることになるとは思わなかった。
その顛末でも簡単に紹介しよう。
母は、日曜日の「田舎に泊まろう」を見ているあたりから様子がおかしかった。
(あ、田舎に泊まろうはTX本放送ですよw)
どうも、体がだるそうな感じではいるものの、歩いたりすることは
退院時と変わらない感じがした。
しかしその翌日、様子がおかしかった。
段差に必ず突っ掛かってしまい、足取りもたどたどしかった。
台所仕事もままならず、すぐさま交代した。
で、今日火曜日。
体の右半分が不自由だと訴える。意識や言葉の応対などは問題なかった。
そのまま学校へ行く。
で、17:45、学校から帰宅。
相変わらず体が思わしくなかった。
さらに、母に聞くとなにやらストーブに腰を打ったらしい。
こりゃヤバイと感じた私は、お世話になっている民生委員の方に即連絡。
救急車を呼んだほうがいいということになり、とりあえず呼んだ。
ただし、119番通報ではなく、普通の一般電話番号でかけた。
消防本部に自宅所在地と名前、事情を説明し、待機していた。
その間、あらためて民生委員の方とも連絡を取っていた。
そして、救急車は・・・なかなか到着しなかった。
やっぱり途中の道で迷ったらしいが、なんとか自宅に誘導させた。
18:30ごろ、救急車到着。
それとともに、サイレンの音を聞きつけた近所の人も駆けつけた。
救急隊員の方に母の状況などを説明し、救急車へ。
そのままかかりつけの大学病院へ直行となった。
私が記憶している中で、救急車を呼んだのはこれで3度目。
まずは、祖母が風呂場近くでぶっ倒れて、意識がなかったので通報。
次に、祖父が意識がなかったので通報。
で、今回の3度目となる。
しかも、私は初めて救急車を呼んだ。
通報の際は、あまり動揺していなかった。
車内の様子。隊員とのやり取りをしながら、
赤信号で突っ切っていく違和感を感じた。
丁度帰宅の時間帯だったため、国道は車が多かった。
そのため、なかなか上手い具合に進む事が出来なかった。
さて、大学病院到着。そのまま救急外来へ。
病院には、民生委員の方も到着していた。
今回、運ばれた際も、6月の入院時同様にCTやらレントゲンやら撮った。
その結果待ちの時に、地域の人がやってきた。
やはり、近くでサイレンが鳴り、呼んだ場所がうちだったと言う事で
驚いていたようだった。
すでに時計の針は20時を回っていた。
ようやく、検査の結果が出た。
命に別状はない。
骨折等もない。
ただ、栄養が足りないだけだ。
確かに、母はこのところおかゆしか食べていなかった。
その結果、十分な栄養も取ることが出来なかった。
ということで、薬と湿布薬を貰って帰る事が出来た。
ただし、明日も病院に来いという話になった。
まあ、これで問題解決とはなったが、
栄養管理は大事ですぞ。
なお、病院を出る事が出来たのは、22時過ぎの事。
点滴が2時間ぐらいかかるとのことだったので、
こんな時間になった。
晩飯も取らないで病院に行った私は、
民生委員の方にパスタをご馳走になった。
その話はまた後で。
そして、母の晩飯として、ほっかほっか亭の野菜の多そうな弁当を買って
現在に至る。
なんとも、急にジェットコースターに乗せられてしまった感のある
1日となってしまった。
とにかく、今日の出来事も、いい教訓になったのだろう。