なぜ、該当しないのかという具体的な理由が聞きたいということ。
ただ、窓口の職員ではわからず、職員が県に問い合わせる。
審査を行っている人は何やら精神障害センターにいるらしい。
待てよ、自立支援医療費は
発達障害者支援センターでなかったのかよ。
叔父は、市役所の説明では納得がいかないため、
県の精神障害センターに直接出向いた。
アポ無しで。
そうなると、色々と問題が出てくるわけである。
担当の職員は不在だった。
その代わりの方が出てこられた。
色々と聞いていると、なにやら
「つくばまで自力で行けているから、自立支援医療費なんていらないんじゃね」
という考えが、県の関係者にあったとかなかったとか。
いろいろとツッコミどころ満載な話だ。
こっちは、20年近くこの病気がわからなかった。
山形でまともに診断できる医療機関がないというのも大きい。
普段、母のSLEや多発性硬化症の診察のために通院している、
山大にもADHDとかASDに関するポスターは掲示されているが、
それはあくまでも小児科でのこと。
もしかすると、診ていただけたのかもしれないが。
当初、双極性障害ということで、
山形市内の病院で診ていただいたが、
全然良くならず。
上山市内の病院で自律神経失調症ともいわれたが、
全然良くならない。
それどころか、かなりきつい注射を数回打たれた。
結果的に数日寝込むことになってしまった。
もうあの病院には、二度と行きたくない。
そこに、つくばに住んでいる知人が、
私の症状について色々と調べてくださり、
現在の病院を紹介されて
通院し、ようやっと確定が出た。
今話題の発達障害。
その中での、自閉症スペクトラムと注意欠陥多動性障害だ。
主治医は、自立支援医療費を取得して、そこから色々と
いい方へいい方へ進めていこうという話をしてくださっていた。
現在服用中のコンサータの量を増やしてみたり、
また、別の薬をつかってみたりと色々とあるらしい。
だが、自立支援医療費で引っかかってしまった。
自立支援医療費が通れば、医療費が3割負担が1割負担となる。
それだけでも負担削減になるのだが、
単に、県から話があった「つくばに行けてるから問題ない」
ということでは済まされない。
上山からつくばまでの交通費の問題。
新幹線を使おうが、深夜バスを使おうが、
何を使おうが交通費はかかる。
自家用車で行くという手もあるが、
震災直後にやった、
61時間ライブだかなんだかの配信しかり、
茨城まで母を乗せた時しかり、
往復の車の運転はかなり疲れてしまう。
2012年にも、同じような車載配信を実施したが、
あの時は失踪のようなことをしでかしてしまった。
相当疲れてたのかもしれない。
あれが怖くて、車の長距離運転を避けている。
これを毎月やれとなると、
身が持たない。
いつ事故が起きてもおかしくない。
それで新幹線や深夜バスを使うにしても、
結局それの代金が毎月掛かってしまう。
深夜バスのほうが安いのだが、
「水曜どうでしょう」の深夜バスでの大泉洋さんと鈴井貴之さんの
やられっぷりの映像をご覧になった方はおわかりかも知れないが、
あれはあれでしんどい。
最近は、快適さを追求したバスも走っていることは走っているのだが・・・。
じゃあ新幹線でと言っても、
あれもあれでいいお値段がする。
最近は、モバイルSuicaを利用して、
それなりにお安い料金で利用しているが、
それでも金がかかることには間違いはない。
どれを選択しても、山形からの移動にデメリットの面が大きい。
茨城に住む叔父叔母も、私の通院のために毎回休みを取っている。
叔父叔母側にも相当な負担をかけている。
それに、この成人になってからのADHDとASDと適切に診断できる
医師が果たして東北、特に福島より北に多くいるのかというと、
つくばの主治医に聞くと、まだまだ少ないとのこと。
その主治医は、研修会とかで講演をしているという。
そんなこんなで、ここ最近になって話題になっている病気だが、
県の理解度があまりにも低かったのが残念だった。
とりあえず、初回の通院から半年が経過したので、
今度は問題なく降りる・・・はず。
一通り県とやり取りをし、なんとか通るようにお願いします
という話で終わった。
そして、市役所にも書類を提出し、無事に終わった。
あとは、今月開催されるという審査会でどうなるのかである。
通らなかったら通らなかったで、別の方法を考えるしかない。
正直、この話を聞いているだけで相当疲れてしまった。
来週またつくばへ行くことになるが、一歩前進すればいいのだが、
私自身の体は、どこへも行きたくないという感じがする。
それに、会社にも出勤したくないというのもあった。
なんとか持ってくれればいいのだが、
今日は、近所の人の葬儀だった・・・。
最近の栗原類さんを筆頭に、
著名な方の発達障害のカミングアウトをきっかけに、
発達障害に対するこの国の理解度が上がることを願うばかりである。