4月30日の午前、これが私に下った病名でした。
さかもと未明さんと星野仁彦先生の本にも出てきたこの病名。
発達障害の一つです。
私自身はすでに、どんな病気だろうとなんだろうと
受け入れるつもりでいました。
この病気と確定するまで、約5年、
生まれてから今日まで、約27年、
自分が持っていた、
他人とは違う違和感と闘ってきました。
そして、ここ1年で何度も会社や自宅で嘔吐し、
半年で2度も会社で倒れ、気分も悪くなりました。
薬も色々と処方されましたし、いろいろな病院を回りました。
MRI、CT、レントゲン、そこでもなんら異常なし。
結論は出ませんでした。
2か月前に、古くからの知人から勧められた茨城県内のクリニックに予約を入れ、
更に、茨城に住む叔母にも連絡し、付き添いをお願いしました。
それまでに、学生時代の通知票、文集、更には連絡帳などを自宅からかき集め、
持っていく準備もしていました。
そして、あの日を迎えました。
4月29日、出勤日でしたが、移動日として休みを取りました。
ヤマコービル発の東京行きの深夜バスに乗車。
4月30日、電車を乗り継いだり、
親戚の車に乗って、つくば市内へ。
叔母だけかとおもいきや、叔母の家族総出で行くことになってしまいました。
そして、クリニックへ。
事前にメールや電話でのやり取りで指示されていた、
以前通院していた病院からの紹介状を出し、
問診票をいろいろと書いていました。
この問診票が、見事に該当する内容ばかり。
それを受付に提出。
体重や血圧などの測定をし、診察へ。
ここでは、叔父と叔母が付き添ってくれました。
事前に私は、先に挙げた本や、今回診察してくださった先生が書かれた本を
一読していたり、ネット上での判断テストや様々な資料を読んで、
予備知識を得ていました。
これはどうやら、叔父も同じだったようで、
テレビ番組や本を一読していたそうでした。
診察は、長かったような、短かったような。
先生との会話をしていくうちに
あっさり言われた
「ADHD 注意欠陥多動性障害」そう、さかもと未明さんにも言われた名前が、私にも、
そして、この私の一族にも言われたのでした。
ADHDとは、
不注意、衝動性、多動性が現れる症状のこと。
これは、子どものころに落ち着きがなかった人の病気という話もありますが、
大人になってからも、この症状を引きずる傾向があるようです。
また、遺伝性があるらしく、
私の一族が揃ってこの症状ではないか?と言われてしまうのも頷けます。
子どもの頃に適切な治療を受けていれば、なんとかなるようですが、
私の場合は、ここまでずっと、放ったらかしにされていたようなものでした。
会社内でも、不注意によって同じようなミスやトラブルは繰り返されていましたし、
子どもの頃からお片付けとかそういったものも苦手。
学生時代、宿題とかも学校行ってからか、
高校時代は、電車の中でやっていたことを思い出しました。
そういえば小学生時代は、朝早起きして、宿題をやっていた記憶が。
普通、宿題は前日に家に帰ってからやるというのが当たり前かもしれませんが、
私はそうではありませんでした。
現在は会社でも、毎月レポートのようなものを提出しなければならないのですが、
締め切りギリギリになってやるような有様。
結局、これは子どもの頃から全く変わっていないということなのでしょう。
これを親は「早く宿題やりなさい」なんて言うはずですが、
私の母は、そんなことはしませんでした。
むしろ、それを言っていたのは、あの当時は毎年夏と冬に来ていた、
茨城の叔父の方だったかもしれません。
母も、叔母も、どちらも洗濯物や部屋などは散らかしたまま。
こういった点も姉妹揃って似ていたのでしょう。
さらに言えば、亡き祖母も家事とかは不得意だった気が。
料理とか、祖父がやっていたという記憶がうっすらあります。
祖父は、婿養子でこっちに来たらしく、性格も真面目だったかと。
そうなってくると、このADHDの症状は、
おそらく祖母の代からあったのではないかと言われました。
ADHDの原因として考えられるのが、脳の発達の偏りとも言われていたり、
神経伝達物質であるドパミンが不足して、伝達に異常をおこしているとも
言われているそうです。
先生から渡された資料や、様々な本を読むと、
更には環境が原因だったり、家族関係の状況なども原因となったり、
様々な原因が考えられるようです。
私が住んでいる場所は、住宅地から更に離れた環境だったりしますし、
私自身、子どもの頃に学校の友人と遊んだことは数回しかありません。
本当に様々な原因がいろいろとリンクしていき、
今回のADHDという診断が下りましたが、
さらにこれに加えて、
ASD(自閉症スペクトラム)も併発していると
診断が下りました。
こちらの場合は、人との対人関係がうまくいかなかったり、興味関心というものが狭かったり、
会話もうまくできなかったり、様々な症状が出てきます。
対人関係も、会社内ではうまく出来ていません。
幼稚園の頃の連絡ノートを見ても、どうやらこの点に関しては
昔から変わらないまま。
興味関心というものも、よくよく考えると
あの配信も以前は、放送関係ばかりのネタ中心だったり、
あんまり興味関心とか狭かったような気がします。
その点に関しては、自分でもなるべく広い視野で見れるように
なんとか努力しようとしていました。
会話も、リアルでお会いするとなると、
やはりどうもうまくできないところは大きいです。
逆に、配信していたからこそ、どうすれば会話が長続きできるか、
そして、面白くできるか考えたりもしたものでした。
これらも、原因がASDだとわかり、ホッとしました。
この症状・障害を少しでも良くするには、
投薬治療となるようで、
コンサータという薬が処方されました。
この薬によって、まず脳の神経伝達物質の動きが良くなり、
様々な症状が改善されると考えられています。
こうして、私はADHD、そしてASDと付き合っていくこととなりました。
薬をのむことによって少しでも良くなれば、本当にいいことですし、
生活の質や様々な面に於いて向上していけば、
これまでのうつのような症状なども無くなり、
より良い生活ができるものなのかなと思っています。
ADHDに関しては、このサイトをご覧いただくことをお勧めいたします。
http://adhd.co.jp/otona/↑大人のためのADHD
以前からこのブログで、病気になった際に
病名や症状の名前を出していますが、
これは、自分自身の記録(ウェブのログ)でもあり、
このページに来てくださった「あなた」がもしもの時に役立てば
ということで名前を出しています。
今回も同じように症状の名前を出しています。
発達障害や精神疾患など、そういったものに対して
嫌悪感を抱く方も、もちろんいることでしょう。
私がこの病気だということに対して、
信じられないと思った方だっているはずです。
だからといって、とある女優が、とアイドルグループにいた頃の挨拶ではありませんが、
「病気のことは嫌いでも、私のことは嫌いにならないでください」
その挨拶を引用し、ここに残しておきます。
そして、この私のこれまでの病気確定までの経緯をご覧になったり、
上記のサイトをご覧になり、
「私もそういえば当てはまる気がする」
と思われた方は、ぜひ一度、お住いの地域の精神保健福祉センターや
発達障害者支援センター、病院などに相談してみてください。
あなたも少しでも良くなるために・・・。