母の右手首骨折部分の手術は成功した。
今後1ヶ月、3ヶ月、
いや、1年は右手の使用に制限が出る。
そもそも、骨粗しょう症になりやすい薬が投与されている現状であれば、
まず、普通の人よりも治るのに時間がかかるという。
そこで、骨を強めるための薬が投与されることとなった。
この手術の時間や、診察までの時間は非常に長かった。
この時、丁度持って来ていた本があった。
瀬戸内寂聴さんとさだまさしさんの「その後とその前」
そういえば、寂聴さんとさださんの本は読んだことがなかった。
偶然にも対談本が本屋にあったので、ふらっと買ってしまった。
使用後と使用前の比較か何かの様なタイトルだが、
これは「東日本大震災」の前と後に行われた対談を収録したものだからということで、
こういうタイトルが付いたらしい。
読んでいくうちに、実にこの本は恐ろしいと感じた。
あの手術前後の私の心境を、ものの見事に語っていた。
3.11の時、山形は幸いにも停電だけで済んだ。
しかし、奥羽山脈を超えた太平洋側は最も残酷な現実があった。
隣県に何らか関わりのある知人も多くいるわけで、
Twitterでのツイートなどがすべてを物語っている。
しかし、悲惨さというものについては、
文章や映像・音声などでは伝わりきれないものがある。
寂聴さんとさださんの行動の話題やら、
戦争の話題など、原爆の話題に寂聴さんの戦争体験など。
確かに話として聞けば、こういうことがあったのか。
そうなのか。となるが、当人と私、あるいは他の方からすれば
また違った受け方をする。
私の場合は3.11の時は工場にいた。
あの時から1日とちょっと続いた停電も恐ろしさを感じた。
ワンセグやラジオをつけた時のあの異常な体制は今でも脳裏に焼き付いている。
それとともに、あの美しい夜空も。
この本を読んでいたら、物事の考え方、
物事の核心、そういったところをどう捉えていけばよいか、
ちょいと考えさせられた。
だからではないが、偶然にも、病院のファミマに
さださんの「風に立つライオン」の小説がおいてあった。
そして、手にとって買ってしまった。
私は基本的に、小説は数日かけてじっくりと読むことが多いが、
この本は、どんどん読み進めて1日で読み終えてしまった。
大沢たかおさんのリクエストに応える形で、
「風に立つライオン」は小説化、
そして、そのリクエストした本人によって映像化された。
音楽は「手紙」なのに対し、この小説は、メールのやり取りと、
周囲のインタビューを交えた「ドキュメンタリー」を見ているような感じだった。
主人公の医師と、主人公に憧れを抱くようになった少年、
そして、夢を実現させて日本へやってきた少年だった医師と
日本で出会った少年たちがメインとなってくる。
また、歌が制作された当時とは違い、
やはり3.11も話に深く関わってくる。
この本はフィクションではあるが、
ノンフィクションの本を読んでいるかのような錯覚に陥った。
8分近くの長い曲が、こうして曲を作った本人の手によって、
小説化されたが、あの曲のイメージそのまま。
いや、あの曲の世界観が、更にスケールを増したかのような感じだった。
もしかしたら、実話を若干変えたなんてのもあるかと思えるが。
こうした、命のリレーというかなんというか、
そういったものが、果たして、自分にも出来るのだろうか?
と、ふと思ってしまった。