フコイダン 建て替え工事と脳味噌|地元な話|ノフログ ~noof's weblog~ 忍者ブログ

日本の「バカ」が濃くなっていませんか?

建て替え工事と脳味噌

日曜日。
地区にある神社の例大祭。
町内会の役員だか隣組長とやらの役職の人は、
必ず参加、そして、神社の受付とかをすることになっている。

合わせて、地域の清掃活動も実施するという形だった。

私は今年度、町内会の隣組長とやらの役職が回ってきたので、朝から準備。
そして、神社のいろいろな行事が行われ、
昼過ぎには終了、後片付けをして解散となった。


そういえば、市報に地元の小学校の建て替えに伴う、
旧校舎最後の見学会があるという案内があった。
それが日曜日だった
時間的にもちょうどよかったので、行ってみることにした。






駐車場は、グラウンド。
以前ならば、市民会館駐車場がお決まりだったのだが。
その市民会館の跡地に、小学校の新校舎が建てられた。

旧校舎は、1990年代に入ってから段階的に改修工事が行われた。
私が入学したばかりの頃には、体育館と1・3・5年の教室が新しくなっていた。
その後、2年生になると今度はまた新しい教室ができていた。

と、学年が上がるごとに学校が新しくなっていった。
最終的には、3年だったか4年の時に職員室や第2体育館とでも言うべきだろうか、
小体育館も新しくなり、結構きれいな校舎に生まれ変わった。

ぱっと見では、まだまだ新しい建物のように見える。
しかし、肝心の骨格というか、基礎の部分は半世紀前のもの。
耐震強度の測定結果でNGだったらしく、
結果的に建て替えとなったらしい。

旧校舎の入り口はいくつもあり、
2学年別、教職員用、更には体育館用とバラバラだった。
今回は、体育館が入り口となっていた。

久しぶりに入る体育館。
私が通っていた頃と変わらない。
ある特定の年代以上の方には、違和感があったかもしれないが。


渡り廊下も懐かしい。
ステンドグラスを模した窓カラスも懐かしかった。

教室も懐かしい。
すでに教室内は机や椅子が運びだされていた、
テレビもない。

私達の世代は、パナソニック製の25型ブラウン管テレビがあったのだが、
このテレビで、1998年の長野オリンピックのジャンプ競技かなんかを
見たような記憶が何故かある。
いまや、液晶テレビとかなのだろうか?

教室は、多目的教室と呼ばれた、教室2つ分の広いスペースが各フロアごとに1つあったが、
そこには、テクニクスの電子ピアノがあったかと。
あとは、パナソニックのコブラトップのラジカセも。

ただ、現在は各学年ごとに、学年別の集会所が設けられていたらしい。
そんなのなかったのだが、恐らく、児童数の減少が原因で
空き教室の利用方法として考えられたのだろうか。
私が入学した約20年前は、全校生徒700人か800人ぐらいいたが、
現在は500人まで減っている。
少子化の波というものを、少し感じることが出来たかもしれない。

20年前といえば、Windows95。
卒業するまでパソコン室にあったパソコンはWindows95。
しかも、PC-98仕様なもので、XFERとかなんだかいう、
キーも存在した。
いまや、そんなキーボード・・・

そういったのも、当然ごっそり新しいものに変わったんだろうなぁ。


変わっていたといえば、
卒業後になんだかエレベーターが追加されていた。
エレベーターは一応、昔からあったことはあった。
ただし、人が乗れないエレベーター。

正確には給食運搬用のダムウェーターだが。

それが、ちゃんと人が乗れるエレベーターが加わっていた。
フジテック製の。
車いすの児童とか、足が不自由な方でも昇り降り出来るようにということで
追加されてたのだろうか。


他にも職員室やら各種教室も見て回ったが、
どれもこれも懐かしかった。
一部の部屋にはエアコンが増設されているところもあった。

この学校で忘れてはいけないのがこれ。

単なるレンガの造形物というわけではなく、確かこれは半世紀前に竣工した際に使われていた
暖房器具だったかと。
小学校の頃に何かしらの説明を聞いたのだが、忘れた。

とまあ、色々と書きたいのだが、長くなってしまうのでやめておこう。


いよいよ旧校舎は、来月から段階的に取り壊し工事が始まる。
旧校舎跡地には新しい体育館が出来、
旧体育館も取り壊すとか。
現状を見ると、新校舎から体育館への動線が相当長くなっている。
これも暫くの間の我慢だろう。



なお、今回は新校舎の見学はなかったが、
明日は新校舎に事実上入ることが出来る。
そう、明日は市議会議員選挙の投票日で、
市内の一部地域に住んでいる方は、今回から新校舎が投票所となるため
一部を見ることが出来る。
それもある意味楽しみだ。

新しい校舎に通っている子たちは、おそらく22世紀を生きるであろう子たちだろう。
その子たちが私の年代になり、そしてお父さんお母さんになり、
おじいちゃんおばあちゃんになった頃には、どうなってしまうんだろうか。

思い出が詰まっている校舎は姿を消してしまうが、
これからも新たな歴史を刻んでいって欲しい。


しかし私は、また新たな歴史を、
車にはっきりくっきり残る形で刻んでしまった。
すぐ近くの道路のガードレールにこすって・・・。
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