母の認知症のようなものは、
ここ最近は落ち着いているように見えるが、油断は出来ない。
一方で、私自身はどうだろう。
新春インフルエンザ大会以降、毎日何かしらの薬を服用している状態が続いていた。
指の痺れを抑える薬に、アテローム対策の抗生物質などなど。
3ヶ月にわたって投薬が続いたが、アテローム除去手術によって、
指の痺れはなくなった。
いや、右手の薬指と小指のしびれはなくなったが、
手術をした中指は、時々しびれる。
特に、切った箇所がそうなってしまうが、
これもしばらく経てば、おちついてくる・・・はずだ。
あとはGWまでなんとかなればいいのだが。
さて、話を母の方へと戻そう。
1ヶ月ほど前、母親は認知症のような症状を見せていた。
夜間の徘徊で「山形駅に行く」「高校の同窓会がある」などと発したり、
医者から止められていた喫煙を、知らないところで行っていたりも。
週に一度ヘルパーさんに来て頂いていたが、
その方から後で電話で伺ったところ、
「たばこを買ってきてくれ」などという発言もあったらしく、
何処でこの件について話せばいいのかヘルパーさん側は困っていたらしい。
ここ最近は、そういった発言は聞かれなくなった。
また、夜間の徘徊も無くなった。
ただ、こうした行動を起こしてしまったとなると、
また同じようなことになりかねない。
最近、多発性硬化症関連で通院するのは2ヶ月に1度程度となっていた。
だが、肩が上がらないということで、
近くの大きな病院へ週2〜3回の割合でリハビリで通院させている。
これも、かれこれ半年近く経過するのだろうか。
仕事が6時からスタートする時と、
15時からスタートするときの隔週交代が相変わらず続いていたため、
なんとかわたしが連れて行っていたのだが、
進歩は微妙なものだった。
おかげさまで私の体は・・・。
母親のこの認知症のような症状、調べていけば、
多発性硬化症の末期の可能性もあるとかないとか。
これはさっぱりわからない。
先日、ようやっと病院へ行くことが出来た。
そこで、この1〜2ヶ月の異常な行動について、洗いざらい主治医に説明をする。
すぐさま、認知症のテストを行った。
今住んでいる自宅の住所はなんとか言えた。
自宅住所は非常に難しい名前なのだがスラスラと。
ただ、問題は電話番号、生年月日、年齢。
これが一部出てこない。
電話番号は市外局番と番号は言えたが、肝心の市内局番が言えない。
それに、現在山形エリアの市外局番は15年以上前に「023」と変わったが
区切り方も「0236」という区切り方で発していた。
生年月日は、日付は言えたが、生まれた年があやふやだった。
年齢も50代だとはいえたが、ちゃんとした年齢が言えない。
このテストのあとに、更に詳しく検査が行われた。
そして、今日、MRI検査を実施した。
この画像を元に月曜日に詳しく診察するという。
ただ、主治医の話では、脳の状況は日に日に変わるので
これだということは言えないという。
多発性硬化症発症から8年、さて、どうなることやら。