この不気味な回答、
私にはさっぱり理解できなかった。
いや、考えたくないのだが、最低最悪のパターンも考えられる。
認知症。
多発性硬化症を患ってからかれこれ8年。
ほぼ家に閉じこもりっきりになってしまった母親。
本来ならば、何かしてあげたいのだが、
何も出来ずにいる。
せいぜい私にできているのは、
本を買ったり、テレビを見たり、映画を見たり、買い物へ行ったり。
それだけではなく、なにか未知のものと遭遇させたい。
そういうのはある。
ただ、仕事と介護の両立、
果たして出来てるのだろうか。
答えはNOだ。
仮に奥さんがいたとしよう、子どもがいたとしよう。
母親がしてくれたようなことが、
果たして俺にはできるのだろうか。
その答えは、今、母親にしてあげている状況が全てを物語っているのかもしれない。
いや、現状母親のこの奇妙な行動に対して、
私自身は相当パニクってしまっている。
いやいや、仕事もそうだ、またもパニクる寸前になりかけている。
非常にマズイ。
来年度は隣組長の順序が回ってくるらしい。
これも抱えると、更にパニクる状況が上がる。
いや、だいぶ落ち着いてきた「双極性障害」のうつ状態がまたも・・・。
なんか、だんだん分からなくなってきた。
どうせなら、自分の声帯をなくして
喋れなくしてしまおうかなんて事も考えてしまう。
いや、イカンイカン。
それだったら、いっそのこと、
母親とも関係なく、仕事とも関係なく、
更には地元とも関係のない、
全く見知らぬ土地に逃げてしまいたいくらいだ。
そこでひっそりと静かに静かに・・・
今年の1月の曜日配列で、ふと思い出した。
1998年1月31日土曜日。
あの日、
私は死んでいたかもしれない。
2階の屋根から、除雪のために祖父が用意していた
はしごを伝って下りようとした。
しかし、足を滑らせ、はしごは落下。
雨樋に手を引っ掛けた状態で宙ぶらりん。
力尽きて、そのまま下に落っこちた。
打ち所が悪ければ、こうやって文章を手で入力なんて出来なかったかもしれない。
自分の足で歩けなかったかもしれない。
最悪、植物人間かこの世にいないか。
なんとか17年過ぎてしまった。
呆気無い。
だんだん中身が滅茶苦茶になってきた。
とにかく、いつかはやってきてしまうのだろう。
その来たるべき時とやらが。
その日果たして自分は何をしてあげられるのだろうか。
来てほしくないというのが、私の中にはあるが。