フコイダン 来たるべき時|病気な話|ノフログ ~noof's weblog~ 忍者ブログ

日本の「バカ」が濃くなっていませんか?

来たるべき時

つい先日の母親のこと。

夕方ぐらいだろうか、散歩に出かけたのかと思った。
しかし、帰って来ない。
お金は持っていない。

車を走らせていくと、母親は歩いていた。
そして、何をしに行ったのか尋ねると、

「〇〇先生がお迎えにやって来る」
「病院だべ?」

などと、全く意味がわからない返事が帰ってきた。

病院の通院日はこの日ではない。
翌日である。
それに、先生の名前だが、現在担当している主治医の先生でもない。

一体、誰?
聞いてみたが、当の本人もさっぱりわからないという。

とりあえず、そのあと、何を思ったのか私は、
母を連れて天童のイオンモールへ行ったのだった。





この不気味な回答、
私にはさっぱり理解できなかった。

いや、考えたくないのだが、最低最悪のパターンも考えられる。

認知症。

多発性硬化症を患ってからかれこれ8年。
ほぼ家に閉じこもりっきりになってしまった母親。
本来ならば、何かしてあげたいのだが、
何も出来ずにいる。

せいぜい私にできているのは、
本を買ったり、テレビを見たり、映画を見たり、買い物へ行ったり。
それだけではなく、なにか未知のものと遭遇させたい。
そういうのはある。

ただ、仕事と介護の両立、
果たして出来てるのだろうか。


答えはNOだ。


仮に奥さんがいたとしよう、子どもがいたとしよう。
母親がしてくれたようなことが、
果たして俺にはできるのだろうか。

その答えは、今、母親にしてあげている状況が全てを物語っているのかもしれない。

いや、現状母親のこの奇妙な行動に対して、
私自身は相当パニクってしまっている。
いやいや、仕事もそうだ、またもパニクる寸前になりかけている。
非常にマズイ。
来年度は隣組長の順序が回ってくるらしい。
これも抱えると、更にパニクる状況が上がる。

いや、だいぶ落ち着いてきた「双極性障害」のうつ状態がまたも・・・。


なんか、だんだん分からなくなってきた。

どうせなら、自分の声帯をなくして
喋れなくしてしまおうかなんて事も考えてしまう。

いや、イカンイカン。
それだったら、いっそのこと、
母親とも関係なく、仕事とも関係なく、
更には地元とも関係のない、
全く見知らぬ土地に逃げてしまいたいくらいだ。

そこでひっそりと静かに静かに・・・


今年の1月の曜日配列で、ふと思い出した。
1998年1月31日土曜日。

あの日、私は死んでいたかもしれない
2階の屋根から、除雪のために祖父が用意していた
はしごを伝って下りようとした。
しかし、足を滑らせ、はしごは落下。
雨樋に手を引っ掛けた状態で宙ぶらりん。
力尽きて、そのまま下に落っこちた。

打ち所が悪ければ、こうやって文章を手で入力なんて出来なかったかもしれない。
自分の足で歩けなかったかもしれない。
最悪、植物人間かこの世にいないか。


なんとか17年過ぎてしまった。

呆気無い。


だんだん中身が滅茶苦茶になってきた。

とにかく、いつかはやってきてしまうのだろう。
その来たるべき時とやらが。
その日果たして自分は何をしてあげられるのだろうか。

来てほしくないというのが、私の中にはあるが。

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