去年もお世話になった近所の方を見送ったが、
先日、子供の頃から大変お世話になっていた
近所のおばあさんが亡くなった。
その前に、亡くなる知らせを受ける数日前から、
自宅付近への道路の除雪がなされていた。
てっきり、地区で市に除雪の件で話しがでていたのかと思ったが、
葬儀後の精進落としで除雪の理由がわかった。
そういうことだったのねと。
闘病中だったという話もここでようやっと出た。
体調不良だという話は伺っていたが、
容態が急変していたのは知らなかった。
お元気そうだったのだが。
今日は火葬、そして葬儀だった。
(以前からご覧の方はわかると思いますが、上山周辺では火葬のあとに
葬儀という形式が一般的です。)
こちらも何があってもいいように1日休む。
地域で葬儀を出す関係上。
葬儀は、うちの菩提寺で執り行われた。
同じ菩提寺だということは聞いていた。
・・・本堂の温水ルームヒーターもまた増えていた。
葬儀は滞り無く終了。その後、五七日法要もおこなって終了。
今日が母のリハビリだったのをすっかり忘れていたので、
すぐさま病院へ。
私だけ精進落としに顔を出す。
リハビリ終了後、ふたたび近所の方の家に向かい、1時間半の念仏を唱えた。
私自身が念仏を唱えたのは・・・初めてかもしれない。
祖父母の時もやらなかったし、親戚の時もやらなかったが
結構大変だ。
こうして、葬儀の1日は終わった。
人様の葬儀ではあるが、この地区の場合は全くそういう感じではない。
むしろ親戚の葬式というか、自分の血縁者の葬式というかそういうのと何ら変わりないもの
と捉えたほうがいいのだろうか。
恐らくこのブログをご覧の方は、
何度も何度もお葬式の準備をするということは
ないかと思われる。
ある一定の年齢に達するなり、何かしらのことでもないか、そういった業種でもない限りは
まず近所の方の葬式とか、そういったのはないだろう。
身内の葬式に参列することが多いのだろう。
ただ、こちらは避けては通れないことである。
それにうちは母親の代役というか、事実上の世帯主ポジションでもあるため、
必然的に参加することとなる。
こうも何度も何度も参加していくと、
「死ぬということ」について考えることが多くなってしまう。
私の年代ならば、恐らく結婚とか、恋愛とか、子どもを作るとか、そういった話が・・・
(別方面ならあるが、あんまりないですよね・・・)
じゃあ、これが自分の母親だったらどうだろうか。
父親がおられる方は、父親だったらどうだろうかとなる。
葬式は、本当に最後の親孝行となる。
本当に避けては通れない話である。
ご兄弟とかいるのであれば、なんとか協力しあって・・・となるが、
私はそうはいかない。
(いとことか、はとことかを巻きこむことになると思うが)
自分の祖母・祖父が亡くなった年齢の平均で考えると、
母がこの世界にいる時間は長いようで短い。
考えたくはないが。
じゃあ、その時に果たしてちゃんと親孝行はできるのだろうか?
逆にだ、親不孝なんてこともありうる。
皆さんのカウントダウンタイマーは・・・
色々と考えてくると、ゾッとする。
本当は、もうちょっと明るい話を考えたいが・・・。
そういえば、2005年夏に「にっぽんの、バカヤロー」というタイトルで
脈々と続けてきた配信も、今年で10周年を迎える。
Mac買い替えか何かでやろうとしたが、現状では頓挫している。
何かしらをやりたいという気もあるが、この状況下ではなんともいえない。
再びGWに何かしたいという気もあるが、
今の体調で、また長距離ドライブ配信大会やりましょうなんていうものは無理だ。
(むしろお・・・いや、なんでもない。)
大々的に企画して、主催して、大人数まとめろと言われても無理だろう。
本業がメインである以上は、私の病気だらけの脳味噌では余白は足りない。
徐々に徐々に乗り気にもなれない。
というか、未だにインフルエンザ発症で出てきた右手の痺れが治らない。
こりゃ、精密検査コースになるだろう。
まあ、気が向いた時にはツイキャスでもやってるでしょう。