フコイダン あれから20年|適当にetc|ノフログ ~noof's weblog~ 忍者ブログ

日本の「バカ」が濃くなっていませんか?

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あれから20年

いまのネット社会、本当に幅広い年代の方が出てきている。

そして、あの震災を経験していない、
あるいは、この出来事が第二次世界大戦などのように、
歴史上の出来事という認識を持つ人が増えている。

1995年1月17日05:46 阪神・淡路大震災の発生から20年。
これまた私達は、未来へとやってきてしまった。
いや、未来が今になってしまった。

昨日放送していた、「あさイチ」といい「バリバラ」といい、
震災から20年ということで、20年前に壊れ、10年ほど前に新しくなった
神戸局から生放送された。






その中で、灘高の高校生の話や、ゲストとして参加されていた20年前に生まれた方々の
インタビューなどが印象に残った。

高校生は、先生方からの聞き取りや灘高の体育館が遺体安置所として
使われていたことを聞き、見方が変わったという話をしていた。
また、東日本大震災の被災地へ行ったことと、地元で起こった大震災とが
色々と考えた方がを変えるきっかけになり、さらに将来のことも
考えているというお話をしていた。

たかが20年というかも知れないが、
単純に20年と言っても、その人その人の時間の流れはそれぞれである。
私はあの当時はまだ幼稚園児だった。
テレビに映し出されていたあの空撮映像は、ショッキングだった。
連日のようにあの光景を流し続けていると、かなり脳にこびりついてしまっていた。

ただ、東北から見ていくと、遠い地のお話でしかなかった。
それが、2000年代前半ぐらいから数年間隔で起こった、
東北の太平洋側を震源とした大きな地震、
そして、新潟近辺で起こった大地震、
そこから、東日本大震災。
こうも数年に一度は大地震が起こってしまうと、
阪神・淡路大震災とは何だったのだろうかとも考えてしまう。

神戸には一度、高校時代に修学旅行で
人と防災未来センターに行ったことがある。
が、全体を移動中のバスの車窓からは、本当にこの街があの大地震でビルが倒壊したり、
大火災が発生した神戸なのか?とも思えてしまう。
震災を経験していない、あるいは、歴史上の出来事と捉えている方々と同じ感じ方であった。

見た目は確かに復興したと思えるが、
本当に復興したといえるのだろうか。
三宮の商店街なども数年で復旧したと報道されているが、
ほぼ同じ年月が経っていても、東北はまだまだである。

これから先の20年の神戸はどうなるのだろうか?

その一方で、東日本大震災の被災地はどうなるのだろうか?

この答えのない大きな答案用紙に、
一体何を書けばいいのだろう。
それは、互いに考えていかねばならない問題だろう。
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