私がこのブログを始めてから、10年半経過してしまった。
2003年に生まれた子は小5かしら?
(計算ミスってるかもしれんが)
ブログは厳密に言えば、さるさる日記を使用してスタートした。
知人がそれを使っていたから、その周囲で皆がさるさる日記を使うようになっていた
という感じだったような記憶がある。
その5年後、念願のMacを購入。
それから少し経って、マイケル・ジャクソンさんが亡くなられた。
そうだ、あれから5年経ってしまった。
5年経ってしまったといえば、Twitter。
2009年の7月に私はTwitterのアカウントを取得。
それ以来ちまちまとやっている。
あの当時、日本国内では「ミニブログ」なんて紹介のされ方だっただろうか。
その追悼特番のあとに、勝間和代さんと広瀬香美さんがやりとりするようになり、
日本国内のメディアから注目されるようになってから、いつのまにやら
Twitterは市民権を得るようになった。
今でこそ、5年前のアメリカMTV(だっけ?)のような光景が、
日本のテレビで当たり前のようになってしまった。
更に付け加えるなら、FacebookやLINEも、
テレビ画面上に「視聴者の声」として表示されるようになった。
特に、ここ最近はLINEを用いた番組が多いようだが、
私には、単なる「パズルボブル」をするためのものでしかない。
私自身がそもそもTwitterをやっているのは、これまた10年ぐらい前からちょいちょいやっている、
ストリーミング配信中に視聴者からの声を受け付けるため・・・だったはず。
確か、マイケル・ジャクソン追悼特番で流れていた、視聴者からの声が
画面下にスクロールされていた事も、始めるきっかけだったかと。
そうだよ、生の声を受け付けるためだよ。
MTVでのあの視聴者の声のティッカー表示、
あれほどリアルタイム性のあるものはないと思った。
もしも、この追悼特番を見ていなければ、
「他の人がやってるから、じゃあやるか」
なんていうパターンでスタートしたのかもしれない。
さて、あれから5年が経過した。
5年は長かったといえば長かったが、短かったといえば短かったかもしれない。
始めた当初は、本当にゆるかった。
色々とゆる~いお付き合いができていたのかもしれない。
このTwitterなくして、いまのお付き合いがなかった人も多いかもしれない。
特に、放送番組や放送技術等に興味のある方々とは。
ところが、そのゆる〜いお付き合いも、ちょっとした行動などによって
いとも簡単に緊張感が増してしまう。
それどころか、崩壊しつつあるのが、私の今のタイムラインなのかもしれない。
その傾向が強くなったのは、おそらく3.11前後だろう。
おそらく引き金となったといえるのが、2010年秋のUSTREAMでの配信。
あの当時は、本当に自由にやってたような気がする。
これまで長らく音声だけだった配信が、USTREAMなどによって映像付きの配信となった。
(それ以前に2006年か2007年ごろにも、映像付き配信なんてものは、やったことあるが。横浜で)
それが、当日は史上最多の参加者数やらなにやらによって、
配信中にアカウント停止。大混乱になったとかならなかったとか。
急遽、別のアカウントを作成して、配信を継続した。
それまではよかった。
そこでなにを思ったのか、当時の私のフォロワーが
追悼配信(だったか、私に対しての不謹慎な配信)を勝手に行った。
この件に関しては、視聴者からの報告により初めて知った。
当然だが、私は憤慨した。
あの件以降、その方とは絶交した。
うちの配信は、非常に微妙な線引でやっている。
その結果によるものだが、
もしかしたら、ここ最近アニメネタとか、放送ネタとかから遠ざかろうとしているのは、
あのときの配信と、かぶせてきた追悼配信がトラウマになっているのかもしれない。
だからこそ、あまり放送ネタとかをやらずに、
至って普通のお話で通そうなんて考えるのかもしれない。
(今の自分からみる当時の出来事だが)
あとは、私の配信をきっかけに配信される方が多くなってきた。
私自身は、後継者であろうその方々に、放送ネタでの配信を託したいという風な
考えを持つようになってしまった・・・とも。
(Macで配信されてる方、少ないよね・・・この界隈)
と、話は脱線した。
この件以降、私のタイムラインはますますぎくしゃくしていった。
それに比例するかのように、3.11以降、会社は忙しくなっていった。
心の余裕をなんとか持たせることは出来たが、
これ以降、上司が数名辞めていった。
結果、仕事はすべて私に回ってくることになる。
つい先日も、この間胸ぐらを掴んだ上司が辞めていった
(胸ぐら事件が直接の原因ではない)
ますます、心に余裕はなくなっている。
結果的に、5年前と比べると、いろいろと心境が変わっていった。
介護もそう、仕事もそう。
それよりなにより、私は一家の大黒柱というポジションでもある。
お金というものにも、シビアになってしまう。
シビアになってしまうということは、今までなんとも思わなかった
些細な事にもピリピリするようになった。
現状、Twitterはなんとかやっているが、半分怒りのようなものを覚えながらも
なんとか冷静さを保ちつつという、始めた当初とは真逆の状況となってしまった。
(毎日がそういう状況ではないので。念のため。)
だから、出ない日もあれば出る日もあるという状況になったのかもしれない。
まあ、だらだらと書いてきたが、
ぶっちゃけ、つまらなくなってきてるかな?なんて。
そういえば、5年前、頻繁にやってらした勝間さんと広瀬さんも、
今では1日1ツイートあるかないかだろうか。
Twitter上では、ここ最近見かけなくなったような気がする。
中には、5年前、それか、Twitterのアカウントを作った当初と何ら変わらずに、
ツイートされている方もおられるだろう。
そこに、ここ数年、或いは数ヶ月で始められたという方もおられる。
なにげに5年前のログをみると、なんてゆるかったことか。
なんてワイワイとしていたことか。
始めた当初にあったあの感動は、一体何処へ消えてしまったのだろうか。
それは、誰もわからない。
そして、何処へ行くのかもわからなくなった。
失われてしまった感動、そして感情は、簡単に戻るものではない。
SNSはシンプルだ。
シンプルなゆえ、人間の化けの皮も簡単に剥がれてしまう。
それがバカッターなどの事件だろう。
いいイメージを持たれていた方は、書き込み一つで簡単に悪いイメージが付きまとい、
逆に、怖そうなイメージやら悪いイメージがあった人は、
ツイート一つでいいイメージになってしまう。
たった一つの行動は重要だが、一歩間違えば転落する。
あなたはどうですか。
という言葉を、私が言える立場ではありませんが。