葬式・・・というか通夜など一連の流れは11月1日〜2日にかけて行われた。
今回は通夜から葬式まですべてを式場併設の火葬場で行った。
いままでの葬式といえば、通夜を自宅で行なって、火葬して、
お寺で葬式をして・・・
という感じ。
いつだかのお葬式では葬儀屋がやっている葬儀場での葬式もあったが。
ちなみに山形では、葬儀場と火葬場併設というのはなかったような。
地元に30年前からある火葬場も然り。
11月1日午前中。
重要な日だというのに、このうちに流れている空気は至って普段通り。
叔母達がうちに泊まっている時と何ら変わりなかった。
私はというと、室内アンテナを探しにホームセンター、そしてヤマダ電機へ。
ヤマダ電機でアンテナを見つけ、
ついでに親戚の皆さんが相当つかれるであろう(自分もつかれるかもしれん)ということで
リポビタンD1ケースを購入。
午後からが一連の葬儀の流れに。
まず、通夜の前に納棺の儀。
所謂「おくりびと」に出てきたあれ。
衝立をたてて、爺さんに死化粧を施す。
そして、棺桶に入れる一連の流れ。
こちらは遺族だけでなく、親戚親類ご近所さん総出での作業となった。
そのあとは、棺桶に蓋を閉めて出棺。
田畑に響き渡るクラクションはいよいよ最期のお別れという感じがしたが・・・
あれ?クラクション鳴らしてたっけ?うちの方では。
祖父の時も祖母の時も実はクラクションは鳴らしていない。
テレビの著名人のお葬式で火葬場へ出発する際に鳴らしているが、
こっちはそんなことしたこと無いぞ?
あ、葬儀屋の違いとか色々あるんかなぁ。
ただ、亡くなった方の茶碗を割る行為はやってなかったが。
確か、それがクラクションを鳴らす代わりだったのかもしれない。
そして、車で約30分の隣町の火葬場へ。
火葬場への移動は霊柩車に叔父と叔母が、私を含めたその他大勢の皆様は観光バスでの移動となった。
ただし、従兄だけはプレマシーでの移動に。
火葬場はどうやら中で火葬場と葬儀場が繋がっているというものではなく、
別棟になっているものだった。
一見すると、繋がっているようにも見えたが。
場所によってはそれらが繋がっているところもあるらしい。
火葬場という施設にはおそらく祖父がなくなった時以来11年ぶり。
地元とは大違いでかなり綺麗な施設。
葬儀場は1階が式場の休憩スペース、2階が式場という形。
着いてしばらくして、通夜が始まった。
ここからが葬儀屋の運営している葬儀場の時と変わらなかった。
通夜の開始の前には、一般的なお葬式ではない旨の説明が。
なんとも一般的な仏教形式のお葬式ではなかった。
お坊さんのいないのお葬式。
お坊さんの代わりに礼服のおっさんが祭壇の前に。
そして、一部の参列者とともにでなにやらお経?だかなんだかの大合唱。
母に聞けば、これがいつだか近所の人が亡くなった時の葬式がこんな感じだったとも。
その後には、それの代表で、マイクでお経?を唱えていた方による
この葬儀の形式についての云々カンヌンの説明があり、終了。
通夜は終わった。
そして、会食。
適当に腹に入れて、火葬場をあとにする。
叔母の家に戻る。
至って普通の空気が流れていた。
あのブラビアのある部屋と従兄の部屋、私が寝泊まりをした部屋は。
何しに来たのかがさっぱりわからなくなりことも。
翌日
天気が良い。
いたって普通。
ただし、それも8時半まで。
観光バス到着、そして、火葬場へ。
ただし、私と母、従兄を除いて。
前日、観光バスの乗降口のステップが母にとっては相当しんどかったようで、
従兄の車で行く事となった。
こういう時はどうもラジオを切りたくなるが、至って普段通り。
車内ではNACK5のファンキーフライデーが流れていた。
噂に聞く小林克也さんの大型生番組。
コレをまさか火葬場に行く道中で聞くことになるとは。
火葬場到着。
・・・したのはいいが、観光バスで来る他の会葬者や肝心の喪主が来ていなかった。
10分後に到着。
葬儀場で最期のお別れ。
ここで蓋が閉じられ、棺桶に釘が打たれる。
そして、火葬場の方へ。
こちらもまた綺麗な建物だった。
最期のお別れを葬儀場で済ませたので、告別ホールとやらでのお別れはなく、
そのまま火葬場の炉の前に。
向こうだとごく親しい人や家族だけ数人でお別れ・・・かとおもいきや、
昨日の通夜に参列した人全員が炉の前に。
本当に最期の最期に立ち会えた。
そして、喪主と一部参加者などで、お経かなんかを唱えて、
棺桶は炉の中へ・・・ではなく、冷却前室に収められた。
ここも最新鋭の火葬場だったらしく、冷却前室が備えてあり、ここの扉が閉まると、
奥の扉が開いて、炉の中へ入った・・・のだろう。
そして、火葬は1時間半かかった。
その間に昼食。
なんだかここで昼食を取るというのも、なんなんだろうかと。
丁度正午に火葬終了。館内放送が流れて、収骨室へ。
頭蓋骨が綺麗に残った。
骨揚げも参加。
骨は結構残り、骨壷には入りきれ無くなってしまい、潰してどうにか収まった。
そういえば、これまた炉の前での骨揚げではない。
地元では火葬炉の前で骨揚げだが、やっぱり違っていた。
というか、いまの火葬場ってこういう流れなのかしら。
遺族の感情を第一に考えてとなれば、あの炉が見えた状態で骨を拾うのも・・・。
あとはショックでぶっ倒れるとか。
幸い、そういう方が居なかった。
そして、すぐにお葬式。
前日の通夜と似たような流れ、代表者?の挨拶は昨日とほぼ同様な挨拶かと思ったが、
故人を偲んだ内容も入っていた。ただ、あくまでもメインは葬儀の説明云々かんぬん。
その後、弔電の紹介でまたも笑いかけたのは・・・。
各社社長を筆頭に各部署からおくやみのメッセージ・・・なのだが、
延々同じ企業が続くのがどうも笑いのツボに。
ただ、今回はどうにかこらえた。
相当汗だくになってしまったが。
こうして、一連のお葬式は滞り無くすべて終わった。
わけではなかった。
その後火葬場から墓地へ移動。
すぐに納骨を行う。
初七日法要のぶんもやるとのことで、線香は1人2回上げた。
このあと、近くの大きなファミレス?かなんかで精進落とし。
コレで本当に一連のお葬式は終了した。
ただし、叔母の家に帰ると・・・いたって普段通りに。
まあ、そう振舞っていただけであったのかもしれない。
この内容も普段通りの感じであって、そうでない感じかもしれません。
まあ、全国各地葬式も色々ある。
触れたくはないだろうが、皆さんもいずれは・・・ということである。