フコイダン 上を向いて歩こう|適当にetc|ノフログ ~noof's weblog~ 忍者ブログ

日本の「バカ」が濃くなっていませんか?

上を向いて歩こう

2011.03.11 14:46
あの時が来るまでは、「日常」の時が流れていた。

2012.03.11 14:46
あれから1年。時はあっという間に流れてしまった。

大震災の1〜2日前には、余震があったが、
当時はこの大震災の余震とは誰も思わなかった。

津波もそう。まさかあんなのが来るなんて・・・。




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そして、東北地方の大半は停電した。
大地震の晩、なぜかiPhoneで写真を撮っていた。
普段なら、住宅やお店、工場の照明や街灯によって明るいはずの街。
それにナイター営業のスキー場の明かりもあるはずだった。

見えるのは国道13号を走行中の車のヘッドライトだけだった。

情報を得る手段も、限られた。

地デジのテレビなんて使えない。
ワンセグカーナビか携帯端末のワンセグがテレビがわり。
携帯端末だって、通信機能が使えない。
ネットにも繋がらない。
光回線も電気がなければどうしようもない。

1日以上に渡る停電で一番の情報源となったのは、ラジオだった

そこからは情報だけではなく、音楽も流れていた。
テレビラジオの特別体制はしばらく続いた。
CMもACばかり。事情を知らない一般的な視聴者からは苦情の声も殺到する一方で、
人気を得たACのCMもあった。
「ポポポポーン」
ヘビーローテーション状態で流れていたので、すっかり覚えてしまい、
挙句の果てにはネット上ではネタにされてしまった。

物流も滞り、ガソリンスタンドには渋滞が。
スーパー、コンビニも一部店舗閉店やら営業時間短縮やら。
それでいて、モノがあっさりなくなってしまった。

山形は比較的被害は小さかったが、
パニック状態になっていた。
収まったのが2週間ぐらいかかっただろうか。
それもあの時は長かった感じがした。



1年経って、今はどうだろうか。
山形にいる限りは平穏な感じがするが、
山ひとつ越えれば・・・。


何だかんだで今日は振り返り特番がやたらと多かった。
テレビを見ていても岩手宮城福島の3県中心。
確かに、この3県が甚大な被害を受けているが
“東日本”大震災。
長野の地震やら静岡の地震も忘れてはいけない。
関東地方の液状化現象も忘れてはいけない。
沿岸部となれば、茨城・千葉もそうだ。

一番忘れ去られているのは東北3県以外の被災者なのかもしれない。


テレビを見ていると辛くなる。
スカパーにチャンネルを変える。
BBCワールドも生中継で日本からやっていた。

でも、やっぱりチャンネルを変える。
スペースシャワーTVに。
なんだろうこの感覚。1年前のラジオと似た雰囲気がした。
「MUSIC SAVES TOMORROW」と題して、長時間の特番が放送されていた。
MCが時間ごとに交代していくという形での生番組だった。

ラジオもやっぱり“日曜日の黄昏時”の番組を聞く。
この番組も3.11特番だったが・・・今回は釜石からの生放送。
1年前の安部礼司軍団大集合の生放送と同様に
安部礼司夫妻と飯野平太、刈谷勇の4人が生でリスナーからのメッセージを読み上げていた。

ラジオ、そしてスペースシャワーTVでも1年前の振り返りをやっていたが、
震災以前に流さなかった曲というものがあった。

それが、アニソン。

番組内でもリクエストが多かったのがアニソンだったらしい。
子どもたちの不安を和らげるためには絶大な効果があったとか。
あの時も、アンパンマンやらプリキュアやら、子ども向けアニメのテーマ曲が
ラジオから流れてきた。普段流さない放送局から。

今はアニソンもひとつのジャンルとして定着しているが、
なかなか取り上げられる機会がない。
ましてや、子ども向けアニメの曲もそうだった。

臨時編成の特別番組でも、アニソンオンリーのリクエスト大会なんて
あったような。
そんな番組はNHK-FMのアニソン三昧以外ではなかったかも。

アニソンも本当に多くの名曲がありますからねぇ。
ド深夜にやってるようなアニメはともかく、全日帯でやってるアニメも。
改めて、日本のアニメ文化は見直すべきですよ。良い意味で。


ラジオといえば、1年前の深夜の特番も風変わりなものがあった。
伝説のラジオ番組?赤坂泰彦のミリオンナイツが事実上復活ということもあった。


改めて、ラジオはリスナーと点と線でつながってるものだと実感した。

これから果たして日本がゆくべきところは一体。
そして、メディアはどこへ行ってしまうのだろうか。

3月31日。日本のアナログテレビ放送終了の瞬間を見届ける特番、
やるかもしれません。




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