フコイダン 日常と非日常、あなたはどこでなにを?|適当にetc|ノフログ ~noof's weblog~ 忍者ブログ

日本の「バカ」が濃くなっていませんか?

日常と非日常、あなたはどこでなにを?

「日々私たちが過ごしている“日常”は、実は奇跡の連続なのかもしれない。」
あるTVアニメでのヒトコマから。

奇跡の連続・・・ならば、人類、いやこの地球という惑星に住むすべての生き物は
奇跡から生まれたもの。
いや、地球自体も奇跡なのかもしれない。


昨日の晩は伊丹十三監督の「お葬式」という映画が、
日本映画専門チャンネルで放送されていた。
伊丹十三作品は「スーパーの女」や「マルサの女」など、
名前だけは知っているものの実際にどのような作品なのかというのはさっぱりだった。

折角だからということで視聴予約で見てみた。
「お葬式」
人生で何度かは経験するであろうものだが、
世の中には葬式を経験してないという方ももしかしたらいるかも知れない。

最期の別れの3日間を描いた映画だが、悲しい作品・・・というわけでもなく、
シュールなシーンも多々。

お通夜の席上の風景なんか、自分も見たことがあるような感じ。
そう、祖父母が亡くなった時だ。親戚の人たちや近所の人たちが、
うちに集まり、夜通しで酒を呑んだり、なにか食べていたり。

その流れを淡々と描いていた。
まさにドキュメンタリーのようなもの。
フィクションだが。

死亡→通夜→葬式→火葬と一連の流れもちゃんと追っている。

ただ、私の住む上山では葬式と火葬の順序は逆だが。
お葬式というものはこうであるというのは、
ワイドショーでの著名人の葬儀の生中継とかで知っていたが、
実際に身内が亡くなり、一連の流れを知ったときは驚いた。

ただ、今では葬儀会社がやる面など、若干違ってくるところもあると思うが。

映画内では火葬場のシーンがある。
アカデミー賞で外国語映画賞を獲った「おくりびと」でもあったシーン。

「お葬式」では火葬中の様子を子どもたちがギャーギャー騒ぎ、
その後に大人たちが様子をみるというような感じ。
そして職員にあれこれ質問をするというものだった。

いやまて、火葬中の様子なんて今じゃ見れないはず。
安全面やら色々とあると思うが。
今の火葬場なんて、裏は火葬工場とでもいう感じだが。

私も祖父母が焼かれていく様子なんて見ていない。
それを昔は見せていたのねぇ・・・。

このシーンには衝撃を受けた。
今なんて火葬場は見た目は何の施設かわからない。
近年増えているセレモニーホールとかそういった施設とパッと見変わらないものに。
それか、一緒になっている施設とか。

なんだかんだで、この映画は実際にお葬式を経験されたかた。
特に喪主や喪主に近い立場になった方なら、「そうそうこう言う感じだった」
なんて言えるかもしれない。
ただし、あくまでも仏教の葬式を描いているので、それ以外の宗教によっては
ここは違う、あそこは違うとなるが。

先日亡くなられたホイットニー・ヒューストンの葬儀。
いまやUSTREAMなどネットメディアでも同時中継していたが、
なんとも明るい感じが。バンドも居たりとか。
ゴスペルとか、著名なミュージシャンからホイットニーに捧げる歌とか。

葬式、あるいは死に対する考えの違いというのが表されていた。
それはマイケル・ジャクソンの時も同じように感じた。


「死」とはどういうことなのだろうか。


しかし、その「死」というものはどのような形でやってくるのかわからない。
余命だの何だのと言われることもあるが、いきなりやってくるというのも。


それが去年の来週のこと。
そう、3.11
あの日は金曜日。山形でも相当な揺れを感じた。
それが何度も何度も繰り返し。
会社の外に避難し、ワンセグで見た恐ろしい光景は目に焼き付いている。
信号が全てストップしている光景も。
自宅までどうにか戻って、風呂に入った。
地震前になぜか母が風呂を沸かしていたから。


しかし、奥羽山脈を越えた太平洋側はどうだろう。
数日前から起きていた地震で、津波は・・・と思われていたが
実際は最悪な結果になってしまった。

皮肉にも映像メディアの発達。携帯端末の高性能化やら映像がHDで手軽に記録できるなどなど、
多くの津波の映像が記録されてしまった。

それとともに、多くの命も失われた。

・・・あれからもうすぐ1年を迎える。
阪神・淡路大震災の時は時の流れは長かった。
震災直後も確かにスローになったが、会社が動き始めたりするとスピードアップしてしまった。

そして、今である。

地元のショッピングセンターの天井もたしかその時落ちたと記憶している。
営業再開したスーパーも異様な感じだった。
ものもない。お金はあっても何も買えない。

今は普通の日常が戻ってきている。
(水道が出にくいという点を除いてね)

しかし、日常が戻ってきていないという人だって多くいる。


奇跡の連続。
今を生きているということは、奇跡なのかもしれない。


あなたはあのとき、どこで何をしていましたか?
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