去年の今頃は、やたらと「おくりびと」で騒いでいたような気がする日本。
納棺師、いや、お葬式を題材にした映画でヒットしてしまい、
地元の放送局も大喜びの作品。
あの作品では大半が家族とか何かしら繋がりのある人間が最後を見届けると言うようなシーンがあった。
しかし、忘れてはならないのが主人公が最初に納棺した、
自殺だったか孤独死だったかでずっと放置されていた遺体。
あれと関連するような番組が、先日放送された
NHKスペシャルだった。
ドキュメンタリー番組は明るめの番組とか、ガイアの夜明けのような
果敢に何かしらに取り組んで成功し、そこからさらに先へ・・・
と言うようなものをよく見るが、これはなにか違っていた。
なんとも無機質な映像で、無縁死について描いていた。
現代社会の問題点としてあげられた作品だった。
正直言って、最初に見たときはもう欝な感じになってしまった。
しかし、自分の場合に置き換えてみる。
果たして、無縁死と言う結果になってしまうのだろうか。
結婚して、子供を作り、そのまた子供が結婚して孫を作る。
そう言うのが理想なのかもしれないが、現状の自分では無理である。
が、実際は別のつながりがある。
ネットなどでのつながり。
かれこれ8年の付き合いのある方がいれば、ここ最近お付き合いのある方もいる。
学生時代からの長い付き合いだってある。
べ、別に恋愛とかそう言うのじゃないからねっw
そういう関係がある分、自分自身はまだ無縁死とは程遠い話かもしれないが、
自分が死んですぐに発見するor自分が旅立つ瞬間を見てくれるかというとどうだろう。
これまた難しい話だ。
自宅は山奥で、発見は遅れる可能性もある。
なにかしらのセンサーやら何やらで、亡くなりましたなんてネットで知り合いに連絡が行くようなものがあれば別だが。
うちの話だが、祖父の時は自宅で最期を迎えた。
また祖母に関しては病院での最後だった。
最後を迎えたあとの体はただ体が冷たい。それだけ。
そのあとはあっという間だ。
連絡をいろいろなところへしたら、すぐに親戚が駆けつけ、近所の人もやってきて
24時間体制。山形の場合は通夜のあとは翌日は火葬、そしてお葬式だ。
あっという間にそれらが終わり、残ったのは遺骨。
何が何だかわからぬまま終わってしまう。
果たして自分は母親を見届けることができるのだろうか。
いや、最悪その逆になってしまうなんてケースもある。
人生はどうなってしまうのか、そんなのはわからん。
が、とりあえず、1日1日は生きてみた方がいい。
私の場合は、このブログやツイッターが足跡のようなものになるから。
と何が何だかよくわからぬ文章を書いてしまったので、
お口直しをどうぞw
まあ、これが昔やっていたCMなわけで、
BS民放5局版と民放6局に始まり、そこからチェンジデジテレやら、
放送局全局総出演やら、シンゴーやら、地デジカへと繋がっていくんでしょうね。